初期ルカーチの小説論1

 ルカーチも後年、マルクス主義にドップリ染まって、グズグズになってしまう。しかし、若いときはクリアだ。古代ギリシアに根ざしているところなどを含め、その思想はニーチェに近い。もっと評価されてもいい、と思うのだが、とにかく晩年の長大な『美学』が真っ赤っかで、やはりちょっと関わりたくないなと思う人も多いのだろう。

 とくに日本では、なにより邦訳がひどい。バルトの本以下だ。ドイツ語の原文でないと、訳語からして、まったくわからない。まあ、そもそも日本では、ヨーロッパ文学の概念が成り立っていないのだから、訳語そのものからして決めがたいのもわかるのだが、それにしてもねぇ。

 そもそも、ルカーチの言う「小説」というのからして、日本で言う小説ではない。米語も区別がないようだが、ヨーロッパ文学では、ロマンとノヴェルは、まったく別ものであり、ルカーチがここで問題にしているのは、ロマンの方だ。以下、ルカーチに従いながら、ヨーロッパ文学の構図を見ていこう。

 ルカーチによれば、古代ギリシア、それもホメロスだけが「エポス(歌語り、叙事詩)」を創った。それは、英雄についてのものであり、そこでは、たましいとおこないとが一致している。というのも、彼らは、その運命的な世界の中に安んじているからである。

 しかし、古代ギリシアの文学は、その後、「ドラマ(悲歌劇)」へと展開する。そこでは、運命的な世界が示し出される。だが、主人公たちは、その運命的な世界の成り行きの上に、そのまま自己を発見する。つまり、ここでもまだ、彼らは、この閉じた世界から出ることはない。

 さらに、古代ギリシアは、プラトン的な「哲学」を生み出す。それは、運命的な世界を、その外側から眺め、偶然的な影にすぎないものと見なすものであり、これによって、我々はもはや世界に安んじることはできなくなった。

つづく