ドイツのテレビ番組の魅力!

 ドイツのテレビはつまらない、だから見ない、なんて書いているドイツ在住者が少なくないが、見ないのに、つまらない、なんてよく言うよ、と思う。ようするに、それって、たんに、あんたが見てもわからなかっただけだろう、と思う。ほんとうにつまらなければ、こんなに、大量の熱狂的なファンがいるわけがない。たいていの人気番組は、DSDSとか、GZSZとか、略語で通用しているほどだ。

 ドイツのテレビは、ドイツ料理に似ている。レストランなんかで、ドイツ料理を食べてもうまいわけがない。ドイツ人は、ドイツ料理をレストランでは食べないから。旅行者がホテルでドイツのテレビなんか見たって、わかるわけがない。在住者だろうと、ちょっとテレビをつけただけでわかるほど、ドイツのテレビ番組は、日本の単発サスペンス劇場や1クール13回の連ドラのように薄っぺらではない。というのも、ドイツのテレビ番組は、やたらものすごい続きものが多いのだ。GZSZなんか、1992年から始まって、いま4000回だ。『タートオルト(犯行現場)』は、ARD系の競作で、1970年から、まったく異なる場所の刑事シリーズが入れ替わり立ち替わり同時進行して、700本を越えている。その中の1回だけ見て話がわかる、おもしろい、と思える方がどうかしている。

 だいたいテレビなんか、見ただけでわかるものではない。日本のテレビでも、だれだかわからない連中がスタジオでゲームをしているだけなら、おもしろくもなんともない。おもしろいのは、その人が普段は硬派な評論キャスターだったり、それと対決しているのが、そういう硬派のキャスターをちゃかしているコメディアンの、それも冗談キャラとしての出場だったりするところ。ディーター・ボーレンが審査員をしているのは見ればわかっても、そのディーター・ボーレンがとんでもないヒットメーカーで、女たらしで、大金持ちなのを知らないと、彼の発言や、別の審査員のツッコミのどこが笑いどころかわからない。つまり、テレビがおもしろい、と思えるためには、その番組以外の、長年の背景を知っていないとならないのだ。

 ドイツの場合、俳優はプロばかりで、ポッと出のアイドルが抜擢されることなど、まずありえない。(例外が昨年から始まった『アンナとその愛』で主役になった、ロック歌手の大根娘くらいか。)また、その舞台の街も、田舎のどこか、ではなく、具体的に、ハンブルクだったり、バート・テルツだったり、ウィーンだったり、行ったことがあれば、よくわかる場所がよく出てくる。さらに、先述のように、話も続きものなので、これまでのいきさつや人間関係を知っていてこそ、楽しめるというもの。

 お笑いも、日本のような、ただのバカがかってに騒いでいるだけのようなガキのコメディアンではない。カバレティストと言えば、楽器がなんでも弾けて、歌って、踊って、シリアスな長編の小説や映画の台本が書けるような超インテリの趣味人でなければならない。だから、笑いのネタも、子供受けする早口言葉のようなものの合間に、政治や社会の風刺を挟み込む。つまり、ただのバカではなく、向う側まで行ってしまっている連中の冗談なのだ。それで、子供はもちろん、大人も笑える。もっとも、政治や社会のドイツの常識や習慣を知らないと、なんの風刺かわからず、ぜんぜんおもしろくないだろうが。(たとえば、キンダーパラディース(子供天国)、と聞いただけで、それが家具屋のイケアの話とわからなければ、ぜんぜん笑えないだろう。シャウママルというセリフだけで、ベッケンバウアーの口癖と知らなければ、オチがわからないだろう。)

 テレビは、テレビの外の日常世界の鏡だ。だから、ドイツに限らず、日常に溶け込んでいるテレビは、エンターテイメントとして、個別に完結している映画などよりはるかに奥が深い。自分がわからない、だからくだらない、つまらない、というのは、その人が、つまらないだけ。それにしても、大学の研究者も、そういうつまらない連中ばかりだから、こういうテレビのドラマやショーのようなものに対する専門的な研究は、どうでもいい(当時だってほとんど読まれなかったような)古い小説の研究などに比べて、ひどく遅れている。テレビほど、その国の人々に影響が強いモノはないのに、日本の大学の中の奇妙な研究者たちの力関係で、どうでもいい研究にばかり予算配分され、肝心の通俗的(もっとも一般国民に近い)な文化に対する研究が放置されてしまっている現状は、とても不幸だ。