名望家と嫉妬屋

外国から見ていて不思議なのは、日本は、なにをしたのかわからない有名人だらけ、ということ。それどころか、昨今、そんなのしかいない。こんな状況、他の国ではありえない。有名であるのは、ふつうは、何かを成し遂げた、何かを創り上げたからで、ただ有名なだけ、というのでは、意味がわからない。

しかし、有名であるというだけで、日本では、実際、カネは儲かる。クズのような自伝本を出しても、ヘタくそなレコードを出しても、法外に売れる。まともな作家やミュージシャンの数百倍も売れる。これは動かしがたい日本の現実だ。これでは、なんでもいいから、とにかく有名になりたい、有名になってカネ持ちになりたい、という名望家が出てくるのも当然だ。

ずっと昔は、それは政治家だった。べつに政治がやりたいわけではなく、とりあえず御願いします、と言って、政治家になってしまえば、利権が集まった。その後、1960年代から、それが歌手に変わった。それも、70年代になると、アイドルとして、男でも、女でも、かわいければいい、歌なんかどうでもいい、雑誌やテレビに出て有名になってしまえば、レコードが爆発的に売れる、というのがはっきりした。また、プロダクションから相手にされなくても、フォークという道が開けた。あのねのねとか、所ジョージとか、さらには桑田佳祐武田鉄矢も、最初からまともに音楽をきちんと勉強して、曲を作ろうとしていたとはとうてい思えない。とりあえず歌手という肩書きで、深夜でもなんでもラジオ番組の仕事をとってしまえば、あとはなんとかなる、という狙いが当時でも見え見えだった。

それが、80年代からお笑いに変わった。べつにお笑いを極めようなんていう気はさらさらない連中がテレビで騒ぎ始めた。実際、有名になってしまえば、なんでもできた。ようするに、歌だと3分かかるが、お笑いなら1分、1アクションだけで行けるから、出番の多そうなお笑いを選んだ、というだけだ。野球選手やサッカー選手も、本気で野球やサッカーがやりたいというより、とりあえず有名人になる道として選ぶ連中が出てきたのもこのころだ。

で、新聞や雑誌だが、広告面はもちろん、いまや記事面も、大半がある意味での人物の売り出し広告だ。新聞の文化面も同様。ましてテレビは、CMも広告なら、番組もタレントの宣伝。ドラマでも似たようなものだ。選挙の、お願いしますの連呼と大差ない。だれを採り上げるかは、プロデューサーや編集者の一存。今、当たってなくたって、いや、こいつはこれから当たる、採り上げろ、で、いい。だから、プロダクションは、陰に陽に接待合戦を繰り広げ、ズブズブのキックバックやバーターだらけ、ということになる。それでいて、プロデューサーや編集者たちは、オレは時代の仕掛け人、流行はオレが創る、とか言って、いい気になっていた。

しかし、宣伝だらけの新聞や雑誌を、誰がカネを払って見るだろうか。たとえタダのテレビだって、おもしろくないなら、時間のムダだ。そんなのに頼らなくても、おもしろいものは、いまの時代、自分でいくらでも選べる。こんな業界慣習に染まりきっていて、新聞や雑誌、テレビが客離れを起こさない方が不思議だ。だいたいプロデューサーや編集者たちってったって、しょせんどこかの一流大学を出た、それで大手マスコミにうまく就職したというだけのオーディナリー・ピープルで、はっきり言ってしまえば、いくら給与が高くても、べつに特別な才能があるようなやつらではない。同じ肩書きでも、昔のように、親の代からの天性の多趣味な遊び人で、自力で出版社を立ち上げてしまったとか、まったくカネのないところでヒット番組を創ってしまった、とかいう創生期の業界人とは格が違いすぎる。業界つきあいしかしていない、いまのプロデューサーや編集者たちが縁故絡みで選んだ程度のものだったら、読者や視聴者の方が、ずっと目が利くし、見つけるのも早い。

だから、いまどき、新聞や雑誌を熟読し、テレビに食らいついているやつなど、匿名で人に病的に嫉妬する顔無しの連中くらいだろう。チャンスそのものを奪われたフリーターや、会社から放り出された自意識過剰の年寄り、日々の仕事に人生の目的を見いだせない人々。もちろん昔から変なのはいたし、有名人のウワサなんて、だれにとっても、どうでもいい恰好の話題だが、彼らは世間が見放した新聞や雑誌、テレビを目の敵にして、そこで自己宣伝を繰り広げる有名なだけの有名人に噛みつく。ユングの言う、いわゆるシャドウだ。つまり、生きられなかった自分、自分が殺した自分を生きている他人、だ。正確に言えば、嫉妬屋にとって、自分の方が影なのだが。

端から見ていると、マスコミの名望家も、インターネットの嫉妬屋も、どっちもどっちだよな、と思う。たしかに、実体の無い有名人、そういう有名人になりたい名望家というのもどうかとは思うが、自分の使命として律儀に噛みつく嫉妬屋などというのは、もはや精神的に壊れてきてしまっているPsyだと思う。ごちゃごちゃと人のことになんか関わっていないで、自分の仕事をすればいいのに、とは思うが、いまの時代に、世間から見捨てられ、自分の居場所を得られず、自我が壊れてきてしまったのだろう。根が受動的だから、人からの評価なしに自分で自分の仕事や趣味を楽しむということができないのだろう。

実際、自分の仕事や趣味が楽しくて忙しい人は、新聞や雑誌、テレビなんか見ないし、そんなのを見ている暇があったら、自分の仕事や趣味に励む。そっちの方が楽しいから。ましてや、有名なだけの有名人など、自分の人生にとって、まったく用が無い。べつに人と話をあわせなければならない接客業でもなければ、世間の話題など、フォローしていなくても、ふつうはまったく困らないのだが。