デビット・リンチとスティーブン・ソダーバーグ

 今日のキーファー博士の講義は、悪夢の迷宮。まずはデビット・リンチの『ツイン・ピークス』(1990-91)、なんかではなくて、『イレイザー・ヘッド』(1976)から。これは、彼の30歳のときの作品。これはすごい。とにかく彼の中に作りたい絵があって、その絵を組み上げていく。だから低予算。

 当時、彼は、まったくのプーだった。そのくせ、映画を作り続けた。その貧困生活の出口の無い悪夢の迷宮が、そのまま映画になっている。難解なアート系、などという評論家がいるが、深読みする方がおかしい。見てのままの映画だ。見えるものの向こう側が無い。全体をつなぐ意味の深みが見つけられない。つぎはぎの現実が次々と襲いかかる。だから悪夢の迷宮なのだ。前編を貫くのは、不快な工場の機械音。それ以上でもそれ以下でもない。

 一方、対比的に採り上げたのが、スティーブン・ソダーバーグの『カフカ』(1991)。彼の28歳のときの娯楽作。『イレイザー・ヘッド』に似てはいるが、パスティーシュと言うべきもの。カフカはもちろん、『マブセ』や『第三の男』から、『スター・ウォーズ』まで、なんだかんだと、どこかで見たようなモティーフが寄せ集めになっている。いかにも映画好きの秀才、と言う感じ。その後、『オーシャンズ11』シリーズで当てたように、仕事職人としては有能なんだろうな。しかし、この映画で致命的なのは、結局、ムルナウ博士がマッド・サイエンティストで、そこに話の焦点が向かっていってしまうこと。結局、『007』や『スター・ウォーズ』ほどにも深みのない薄っぺらな話。この人、自分では悪夢を見たことがないのだろう。カフカをやるなら、ムルナウ博士そのものが実在しない、というくらいでないと、迷宮たりえないのに。つかもうとする真実は、つねに手からすりぬけていく。だから、悪夢。

 これらに並べるなら、前にも挙げたマーティン・スコセッシの『アフター・アワーズ』(1985)が出色だ。スコセッシの作品も、『タクシー・ドライバー』(1976)からして、出口のない、カフカ的な悪夢の迷宮の物語にほかならない。

 ところで、日本でもリンチの『ツィンピークス』が大流行して以後、よくもまあ思わせぶりの似たりよったりの話(パスティーシュ)が出てくる、出てくる。最近だと、『嫌われ松子の一生』(2006)『陰日向に咲く』(2008)『ララピポ』(2009)とか、イッセー尾形風の変な人を群像劇にしただけの作品。こういうの、企画段階ではおもしろそうだけれど、状況設定だけのなりゆきまかせのシットコム以上のものにはなりえないだろう。そうでなくても、『エヴァンゲリオン』とか、『20世紀少年』とか、困ったものだ。こういうオカルトっぽいの、やるのは勝手だが、その基礎を勉強していないから、思わせぶりなだけで、結局、ホンモノのオカルトとしてのオチをつけることができない。結局、みんな、商売好きで、売れるものを作るのが上手だけれど、ダリやソダーバーグと同じで、どうやっても、ゴッホカフカ、スコセッシ、コッポラ、リンチのような巨匠には絶対になれない。

 やるなら、自分で自分の悪夢の迷宮の中に飛び込んで、その中からヴィジョンを持ち帰るのでないと。それがオカルトの智だ。人の悪夢の聞き書きを寄せ集めて迷宮を作ってみても、張りぼて以上の、ホンモノの存在の無の深淵をのぞき見ることにはならない。もっとも、あんまり中をのぞき込むと、伊丹十三みたいに、その底の無い闇に吸い込まれる。