頭の良さは役に立つか

それこそ、うるさく誤解する向きもあるから、言っておくが、頭が良い、とか、悪いとか、いまの時代に、ほとんど意味がないと思う。まして、たんなる雑学的な博覧強記など、このインターネットの時代に何の役に立つものか。

そもそも、頭が良い、回転する、というのは、別の視点からの物の見方ができる、ということで、ごちゃごちゃ考えてばかりいるくらいなら、端から腕力で計算した方が速いことも多い。だから、ふつうの仕事なら、べつに頭なんか良くなくても、まったく問題はない。むしろ、それこそマニュアルどおりに、ていねいに仕事をこなす人材の方が、はるかに有用だ。実際、そういう地道な人の方が、一般的には収入も多いだろう。一方、わけのわからないことを言い出す天才肌は、すでに確立した組織では厄介者でしかないだろう。

しかし、社会全体として、それだけでいいのか、という問題は残る。みんながみんな、同じものの見方しかしない社会なんて、気持ち悪くないか。民主主義と多数決をごっちゃにしてしまった戦後日本において、少数異見の余地などないが、社会が停滞するのも、そのせいであることに気づいてもよかろう。が、そういう見方がすでに少数異見なのだろう。

経済学では、パレート最適なんていうのもある。いずれの既得権を減らすことなく、分配を最適化していくと、あるところで鞍点に至る。まあ、みんな前よりは良くなったのだから、文句はなさそうだが、ここから先、どうにも動けなくなる。囚人のディレンマのように、もっと別のところに、さらにみんな良くなる解決点があるのだが、そこに移行するためには、一時的に既得権を減少させなければならない。

そこで出てくるのが、パラダイム転換とかイノヴェーションとかいう概念だ。たとえて言えば、いままで7ブリッジをやっていたのに、あるところからブラックジャックを始めるようなもの。同じトランプなのだが、ルールを変えると、最適化の戦略も一変する。当然、既得権はほっておいたまま、社会構造は、一気に再流動化し、活気を取り戻す。

江戸の農業経済から明治の貨幣経済への転換、なんて、典型的な例だ。当然、成り上がる者もいれば、没落する者も出てくる。それがわかっているから、既得権のある者は、絶対にパラダイム転換などしたくない。しかし、しないと、どんづまり。無理に維持すれば、最後は暴力的な革命になってしまう。

19世紀の穀物と鉄鋼の時代から、20世紀の電器と自動車の時代に変わったように、21世紀も、なんらかのパラダイム転換をしなければ、社会そのものが危機的な状況になる。かといって、いまの偉い人や大きい国が、自分の足を切るような英断をするとはとうてい思えない。

しかし、潮流などというものは、偉い人や大きい国でも抑えられるものではなく、変わるときはかってにかってに変わる。超大国ソ連が崩壊してしまったように、どうやっても、止められない。その崩壊に巻き込まれないためには、べつに成り上がらなくてもよいが、生き延びられる程度には、物事に対する柔軟な見方の切り替えはできた方がよいと思う。