マルチカヴァレッジという技法

マルチ・カヴァレッジ(Multicoverage)というのは、マルチ・カム(Multiple-camera)と同じではないか、という質問を受けたことがある。答えは、違う。

マルチカムというのは、複数のカメラを使った撮影方法で、テレビのスタジオでもふつうに用いられているものだ。これに対して、マルチ・カヴァレッジというのは、むしろ映画の、とくに黒澤明によって確立された特殊なモンタージュだ。

カヴァレッジというのは、撮影範囲、ないし、撮影担保という意味がある。あとで編集で使うかもしれないから、とりあえずなんでも撮っとけ、というやつだ。しかし、出来た映画を見ているだけの連中にはわからんかもしらんが、映画を作る側からすると、なんでも撮っておく、という、これがじつは意外に難しい。カメラというのは、レンズを使っている以上、人間の目と違ってピントというものがあり、デプス(被写深度)というものがある。つまり、ふつうにカメラで撮っただけでは、どれかなにかしか撮れない。人間の目で見えているものすべてを撮っておく、というのは、カメラの構造からすれば不可能なのだ。

ところが、黒澤は、これを実現してしまった。彼は、マルチ・カヴァレッジのために、パン・フォーカスというカメラの特性の隙間を利用した。すなわち、彼は、被写体にものすごい高光度照明(もしくはレフだらけ)を当てておき、デプスが前後に延びきったくらいの遠距離において望遠レンズで絵を拾う。こうなると、見えているすべてがデプスの中に収まり、かつ、細い光軸でも感度をかろうじて確保できる。

ただし、このマルチ・カヴァレッジは、黒澤が世界で最初に考えだしたものなどではない。黒澤の父、勇は、体育教練官で、国内外の体育教練方法を研究していた。この中の資料に、レニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』(1936)も含まれていた。前畑をはじめとする日本人選手が大いに活躍した、例のナチス・オリッピックだ。(助監督時代の黒澤が、『馬』(1941)のロケの際に、この映画を盛岡で高峰秀子に見せた、という話が高峰の自伝にも出てくる。)

リーフェンシュタールは、その前の『意志の勝利』(1934)以来、マルチカムを使ったモンタージュには精通していた。つまり、音を流しで採っておいて、この上に、さまざまな場所から撮った絵を載せていくやり方だ。これは、サイレントの時代のグリフィスにはなかった技法で、リーフェンシュタールのオリジナルと言っていい。

彼女は、自分の映画のために、オリンピックの演出として、聖火リレーというものを新たに生み出した。そして、長い古代ギリシア彫刻のプロローグからアクションつなぎで展開されてベルリンに至る『オリンピア』での聖火入場のシーンは、マルチ・カヴァレッジの典型だ。音楽と歓声は、会場の実際のものが実尺で流れている。これに聖火ランナーの絵を逆算して載せていって、要所要所のタイミングを合わせてある。もちろん別撮り絵のインサートもあるが、いずれにしても、これが結果として、望遠撮りのパン・フォーカスのマルチカヴァレッジになっている。

黒澤明は、このリーフェンシュタールの『オリンピア』を見て、その技法を確立した。役者に演技をさせるというより、現実に役者たちを放り込んで、それをまさに実況撮影するやり方。しかし、天才リーフェンシュタールは、戦中も、戦後も、アメリカその他の国々では、敵国ナチスのプロパガンダ監督として、その作品を評価されることも、それ以前に、作品を公開されることさえもなかった。だから、アメリカの連中は、リーフェンシュタールを知らず、黒澤の作品を見て驚いた。しかし、黒澤は、自分の技法の出所を自分では語らなかった。だから、黒澤のものと勘違いされた。(ちなみに、オーソン・ウェルズも、リーフェンシュタールの望遠技法を知らず、逆に広角を絞める独自のやり方で、別のパン・フォーカスを実現した。これは室内に強い。)

リーフェンシュタールは、映画監督としても、演出家としても、じつに天才的だ。サーチライト、聖火リレー、雲の中を行く空撮から党大会会場へ、等々、その歴史的出来事の意味を目に見えるものとして、すべての人々に体感させてくれる。『オリンピア』の、崩壊した遺跡、静謐な彫刻、そして、躍動感に溢れる現代のアスリートへ移り変わっていく冒頭のシーンの美しさなどは、言葉ではたとえようもない。