星座の話

 近頃、時計もいろいろあるが、以前、某社の星座盤腕時計がほしかった。直径4センチの腕時計の中に星座盤を組み込んでおり、24時間弱で一周する。時計が天文事象の反映であるなら、意味のない宝飾時計より正統派だろう。かれこれ20年になり、いまや動きもかなり正確らしい。

 しかし、名前を挙げないのは、いまはあまりほしいとは思わないから。なにが気に入らないって、星座線が納得できない。不動産分譲でもあるまいに、星座区画まで引いてしまって味気ない。

 星座線の問題は、根が深い。星座って、最近は星と星をつないだものだとされているが、ほんとうにそうなのだろうか。実際に満天の星空を見ると、細かな星がいっぱいのところと、星がほとんどないところがある。だから、そこになにかが見えてくる。たとえば、獅子座は、ちょうどたてがみのところが星がなく、黒く抜けて見える。たしかに獅子の形のような気がする。

 そのうえ、星座は、ほんらいはあちこちが重複していた。たとえば、ペガサス座は、肝心の羽の部分が魚座に取られてしまい、そのうえ後半分もアンドロメダ座ということになり、ペガサスの形がわからなくなってしまった。星を区画で管理するようになったものだから、あっちもこっちも細切れになって、なにがなんだか。まるでアメリカの中西部の州のようだ。

 ここドイツでも、星はよく見える。もちろん北極星は日本より高いが。思うに、星が見えないのは、むしろ日本の大都市くらいではないだろうか。やたら街が明るい。いわゆる光害だ。日本でも、ちょっと田舎に行くだけで、驚くほどよく見える。なんの意味もない星の羅列に神話を見た人々と同じ星を眺めていると思うと感慨深い。地上の移り変わりに比して、数千年、数万年、数億光年の時間の中に生きている意味を考えさせられる。