ドイツ映画史映画の上映会

 今日のブルガコワ教授の講義のテーマは、階段。フリッツ・ラングの『メトロポリス』(1927)も幻のSFだが、それより前、ソ連の火星映画『アエリタ』(1924)もまた、まさに幻のSF。反革命っぽいのがバレてしまって、長年、ソ連では上演禁止になってきたものだ。シュワルツェネッガー主演で映画になった『トータル・リコール』(1990)の原作小説(1966)のさらに元ネタ。機械的な量的労働力としての人間奴隷の存在が、集団で階段を登る機械的な動きとして象徴されていると言う。

 レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』(1934)も採り上げられる。これまた、いまや幻の映画。白黒ながら、圧倒的に美しい。プロパガンダだかなんだか知らないが、とにかくすごい。圧巻だ。階段だけでなく、その集団統一美を映し出すカメラアングルは、やはり天才的と言うしかないだろう。『オリンピア』(1936)もすごい。演出ずくなのだろうが、だれもが動く彫刻のようだ。

 余談だが、戦後の1951年に、ダリが「聖ヨハネの十字架上のキリスト」を、とんでもない俯瞰アングルで描く。以前、BBCが、その製作ドキュメンタリーとして、モデルを宙吊りにしているダリのフィルムを引っ張り出し、この三角構図は原子の夢に着想を得た、などという、ダリ本人の話を真に受けていたが、バカだなと思う。ダリという人物は、そういうウソをつく。そこがまた魅力なのだが。いずれにしても、あの絵の元構図のたぐいは、リーフェンシュタールの『オリンピア』の飛び込みシーンなどに出てくる。ダリがいた当時のスペインは、戦後も残ったナチスドイツの提携国だ。ダリは、最期まで努力によって天才を演じ切った秀才で、リーフェンシュタールの方が生まれながらの天才だ思う。そして、モーツァルトのように喜劇的で悲劇的だ。

 それはそうと、グロープ教授が呼び止めてくださって、夜に映画の上映会をやるから招待したい、とおっしゃる。で、夜にまた大学へ出直す。寒い。が、会場は、満員だ。グロープ教授の前説が、淀川長治なみに期待させる。この先生、これが元の本業だものなぁ。やっぱり、すごいな。で、映画は、『目の中の目』。ドイツ映画史の映画。知っての通り、映画史という映画としては、ゴダールの6時間半もある、妙なものがとりあえず有名だが、いったいどういうものだろうか、と気になる。

 しかし、100分だ。ドイツ映画史だけとはいえ、短くないか。ヴェンダースをはじめとする著名監督のインタヴューと、そのお好み映画の梗概、ドイツ映画から同じアクションを集めてきたもの。その繰り返しの章立て。編集のお遊びとしては、ユーモアのセンスもあって、つまらなくはないのだが、映画史を名乗るには、あまりに痛い。ユーチューブとかでもよくありそうな小ネタがダラダラ続く。キスシーンの切り集めなんか、『ニューシネマパラダイス』でもやっちゃったしなぁ。電話シーンの切り貼りなんかも、日本のテレビでもよく見るし。

 これ、ドイツ映画でも、アメリカ映画でも、日本映画でも、まったく同じものができてしまう。そのうえ、最後が1970年代まで。ようするに、自分の映画史じゃないんだな。こういう有名人追っかけインタヴューって、男でも、女でも、どこの国でも、なんの分野でも、若手が人脈を得て有名になる、手っとり早い抜け道なのは事実だが、ほんとうに才能のある者が通る王道ではないだろう。その監督も来ているので、この後、座談会だそうだが、もう22時なので、エンドロールでフェイドアウトすることにした。グロープ教授に感想なんか振られたら、たまらんし。リーフェンスタールと同じ日に見るものじゃなかったな。