ポストモダニズムと金融危機

 キーファ博士の今日の講義は、初回なので、ポストモダニズムの概説。金融危機で騒がしい中、考えさせられるところは多い。

 知っての通り、ポストモダニスムの嚆矢は、リオタールだ。1979年に、あの本が出て、日本でも、ニューアカデミズムとか言って、変な本がやたら売れたが、いま考えると、かなりトンチンカンな、恥ずかしいブームだった。お笑いも、思想も、背景がわからないと、わからない。

 ヨーロッパの街並みを歩くと、ポストモダニズムが目で見える。日本がバブルに入る直前で、ヨーロッパは、モダニズムを止めてしまった。いわゆるモダンな近代建築が1980年代で終わっているのだ。家具も同様。北欧風だの、バウハウスだのではなく、チンケなイケアに落ち着いていく。日本でポストモダニズムを最初に正しく理解したのは、ニュー赤などではなく、おそらくユニクロだろう。(もっとも、その最初の十年だけだが。)

 この背景には、キルケゴールニーチェがいる。神の救済へのカウントダウンという歴史観を失ったとき、海の波のように、「無意味なものが永遠に」繰り返されることになる。しかし、この無意味さに対して、強いニヒリズムは、むしろこれを肯定する。(ハイデッガーは、神の歴史観に換えて、自分の死へのカウントダウンを置き、新しい時間性を考えついた、と言って、目をしばたく。この点において、ハイデッガーは、ニーチェの言う永遠の意味を致命的に正しく理解しなかった、典型的な最後の人だ。)

 この無意味さは、リオタールが言うまでもなく、戦後の米軍の空爆で実体化した。それによって、ヨーロッパでは、無が目に見え、手で触れえたのだ。世界に冠たるドイツ帝国として営々として千年に渡って築き上げてきた街並みが、瓦礫に帰した。このとき、焼け跡の日本は、未来の希望を抱き、東京タワーを建て、近代都市を夢見て、結局、このゴミためのようなアジア的な似非都会を造ったが、ヨーロッパ人は、建築マニアのヒットラーと、その腹心のモダニズム建築家シュペーアで、未来への希望、などという虚妄には充分に懲りていたので、自覚を持って、強いニヒリズムとして、ポストモダニズムを自ら選び取った。つまり、あえて昔どおりの街並みを復元することを自らの意志とした。

 その後、アメリカとソ連、日本は、黄金の60年代を迎え、ヒットラーの虚妄と同じ未来への希望に酔った。建物は上へ上へと伸び、市場は明日への投資として資金を集め、期待を募った。しかし、87年には、アメリカでスペースシャトルが爆発、ソ連チェルノブイリが事故、日本はバブルが崩れ、鉄の壁も錆びてくる。

 壊れたのは社会主義だけではない。資本主義というのは、カネを集めて、投資すれば、つねに画期的な新しい未来がつかめる、という幻想だ。学問では、知識学(日本で言う科学哲学)としてパラダイム論が流行し、経営でも、シュンペーターイノベーション(革新)が提唱された。

 しかし、第二次世界大戦で、世界の果てまで戦地になったように、あのときすでに世界は飽和してしまっていた。その後の50年は、戦前の帝国主義の惰性で突き進んだようなものだ。古い電話線やラジオ電波の上を無限の情報がやりとりされるようになると、もはや新しいものなどありえない。

 おもしろくもないブームで、次から次に無理やり空騒ぎを作り出してきたテレビや雑誌がまずダメになる。どうでもいい機能で新製品だ、新車だ、と、ありもしない購買意欲を引き出してきた電器業界や自動車業界も、もう限界だ。成り上がりの金持のあまり金を吸い上げてきたブランド品も、もういいだろう。

 これからは、いままでに無い、どこか外の新しいもの、ではなく、いままでにあるものの中で、より洗練された質のいいもの、へ深化する。奇抜なアイディアより、手堅い見識が重要になる。日本でも、平安時代や江戸時代には、ポストモダニズムを体験してきた。そういう時代には、速い情報よりも、深い基礎が重要だ。