劇場で『パルジファル』を観た

 広場を通りかかったら、なんと、劇場に『パルジファル、本日上演!』と掛かっている。へえ、フライヤーくらいもらおうかな、と思って中に入ったら、品のよさそうなおじいさんが、チケットあります、と、やっている。20ユーロ、というので、まあ、それくらいならいいか、と、さっそく買った。

 しかし、劇場に入って驚いた。テラス最前列の中央じゃないか。この席で、20オイロで、ワグナーの『パルジファル』を観ていいのか。と、見たら、さっきのおじいさんが、こっち、こっち、と、その隣で、手招きしている。ようするに、奥さんが寝込んで、チケットが余った、ということらしい。

 

 それにしても、この『パルシファル』は、難解な演出だ。舞台の上に、演劇の練習場の風景が大道具として作られている。そこに、普段着のまま、役者たちが出てきて、着替え、役を演じ、終わると、また脱いで去る。つまり、物語全体が、つねに劇中劇になっている。

 マフィアの抗争劇のようなシェイクスピアカンパニーの『リチャード三世』とか、現代ビジネスドラマ風のバイロイトの『神々のたそがれ』なら、それは単なる翻案だ。それは、時代や状況を超越した、物語の意味の普遍性を照射する。しかし、劇中劇仕立てとなると、演じられている物語そのものの意味自体からして変わってきてしまう。いわば、演じられている物語は、引用符で括られており、むしろ虚像になる。

 隣のおじいさんは、幕間になると、この演出について語りたくて仕方ないらしい。こっちもそういう話は嫌いではないが、なにしろ『パルジファル』は、『マイスタージンガー』と並んで、長い。5時間近くある。幕間のうちに、なにか食べておかないと、腹は減るし、眠くなるし。というわけで、適当に切り上げて、ロビーへ。幸い、ちょっとこぎれいな服装をしてきていたのでよかった。祝祭オペラだから、盛装をしてきている人が多い。

 とにかくおもしろかった。ただ、思うに、あのおじいさんの熱狂ぶりでは、奥さんが、来る前から頭が痛くなった、というのも、ちょっとわかる気がした。来月は、『ボエーム』、年末は『魔笛』だとか。街の中にに、気軽に行ける劇場があるのは、すばらしい。