マイン・フューラー(我が総統)

 昨日の続き。コメディの中でも、出色なのが、シュナイダーがヒットラーを演じるこの映画。ただし、これは、彼の従来の路線と違って、おバカ・コメディではない。バカ笑いする、というより、人間性を考えさせられるシュールで悲劇的なお笑いだ。ナチスが、仮面ライダーに出てくるような悪の世界征服組織でもなんでもなく、ただの日常的な凡人の寄せ集めで、その連中がダラダラと深みにはまって、どうにもならなくなっていく。

 筋は、ユダヤ人教授がヒットラーの1945年元旦の演説のための演技指導に担ぎ出された、というもの。ヒットラーは、父親による虐待の幼児体験を抱えて苦しみ、自分がユダヤ人だったことを教授に告白するが、すべて周囲にも筒抜け。ヒットラーへの報告は、ウソで塗り固められ、彼はだれも信じられなくなっている。

 物語は虚実ないまぜになって、例のヒットラー爆殺計画になだれ込む。もちろんフィクションだが、この話には下敷きがある。グスタフ・グリュンドゲソスをモデルにしたクラウス・マン(トーマス・マンの息子、したがってユダヤ人、そのうえホモだったので、ナチスに迫害されて、アメリカに亡命)の1936年の小説『メフィスト』で、これ自体が1981年に映画にもなっている。今回の原作・監督も、ダニー・レヴィ、この名前からしてもちろんユダヤ系だ。

 おもしろいのは、当時の本物のフィルムと再現とを取り混ぜ、当時のナチスパレードが、まさに映画的なハリボデだった裏側を見せているところ。もともとはヒットラー本人の回想として描かれるはずだったが、グリュンバウム教授の物語として再構成され、主人公ヒットラーの人物像は、より中心に座り、周りが振り回される様子も鮮明になった。

 いまの時代にも、アメリカの世界支配を憎むテロ組織に振り回されているが、テロ組織もハリボテなら、アメリカの世界支配もハリボテだろう。グズグズグダグダの連中が、まさに躁鬱病的に、自信喪失と誇大妄想、脅迫神経症と自己正当化に揺れ動き、わけのわからないことでいきり立って、ほんとうに戦争を始める。こういうのは、笑い飛ばしても飛ばないくらい、組織として社会に深く根ざしてしまっているのが、まさに悲劇的な笑いだ。