スタニフラフスキーとゴダール

 今日はキーファ先生の講義だ。先週、マーロン・ブランド等々のスタニフラフスキー・システムの話をしたところで、今週はゴダールと来た。この展開はすごい。まあ、言われてみれば当然なのだが、同じ時代に、まったく対極的な役者論と監督論が出てきて、ガチンコしていたわけだ。だからこそ、ゴダールが、反ヨーロッパ映画、とか言い出して、奇妙なアメリカBムービー礼賛をしたりした。

 ゴダールについて、よくある素朴な誤解は、彼が反ハリウッド映画主義者だ、というものだ。ゴダールをして、ヨーロッパ映画、と呼ぶのは、その後の影響を考えるともっともでもある。しかし、彼が書いたものを読むと、むしろ反ヨーロッパ映画主義者であって、ある種のアメリカ映画を賞賛している。そもそもヨーロッパ映画、アメリカ映画、という切り口が悪い。むしろ映画を作るのは、役者か、監督(プロデューサー)か、という問題だろう。この意味では、むしろゴダールは、きわめてハリウッド的だ。ただし古き良き時代のハリウッド。彼の映画史もこのあたりをグルグルまわっている。しかし、だからこそ、あのとんでもない演出でも、観客を引き込む、商業的な魅力をゴダールは持ち合わせているのだろう。

 もっと興味深いのは、ゴダールが、日本映画なんか、ぜんぜん評価していないことだ。せいぜい大島くらいだ、と言う。それ以外は、結局、ハリウッドのパクリだ、と喝破している。私も、じつはそう思う。欧米で評価されている黒澤も小津も、むしろ日本映画の娯楽的伝統手法とは別の系譜に属している。これは、先述のGHQ問題が大きいように思う。