ドイツにおける日本映画の古典

 今日は、グロープ教授の講義だ。それも、日本映画の古典。私が講堂の後の方に座っているものだから、えらく遠慮がちに語られるもので、こっちの方が恐縮、恐縮。

 内容は、ごく穏当に、黒沢、溝口、小津、といったところ。実例として挙げたのは、黒沢は用心棒の堂抜けの場面、小津は東京物語のラスト、と、きわめて的確。

 前回まで、フィルムノワールの話をしていたので、こうして続けて見ると、あの戦後の陰影は、そういう大きな潮流の上にあったことがあらためて実感される。逆に言うと、黒沢や小津って、つくづく日本映画っぽくないなぁ、と思う。アラカンとか、オオコウチとか、あっけらかんとぶっとんだ痛快時代劇と比べると、黒沢も小津も、結局のところ、どうも理屈っぽい。まあ、今日の話で、進駐軍の検閲の問題にも触れられていて、そういう事情もあったのかな、と思う。しかし、戦後だって、社長シリーズとか、渡り鳥シリーズとか、わけのわからない痛快娯楽映画はいくらでもあったわけで、実際、当時、客が見ていたのは、小難しい日本映画などではなく、ほとんど洋画ばかりだったのだが。

 まあ、なんにしても、ドイツで日本映画を見るのは奇妙な感じだ。外国の映画として字幕付きで見ると、また見方が変わる。不思議だ。