疾風怒濤とアドヴェンチャー映画

 月曜は、キーファー先生の講義だ。物語史の中で映画をとらえる、という壮大な思想的視野の下、今日はアドヴェンチャー映画の話だ。とにかく映画史なんかよりどでかいスケールで見るので、100年、200年は1つの時代扱い。というわけで、アドヴェンチャー映画も、疾風怒濤のロマン主義の一端ということになる。

 話の根っこは、表面では言わないが、ルカーチなのだろう。が、『アギーレ』を取り上げるとなると、どうなのだろう。あれがいうアドヴェンチャー映画となると、ハリウッド的なアドヴェンチャー映画とは趣向が違うような。

 知ってのとおり、『アギーレ』は、『地獄の黙示録』同様、ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』がアイディアの源泉だろう。そして、それは、さらにヘミングウェイが絶賛したマーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』に行き着く。そこでは、社会との隔絶だけでなく、単独者として神と向き合う、もしくは神と対決する内面的な問題が正面に出てくる。『アギーレ』は、その副題の通り、まさに現代の孤立した信仰がテーマになっている。『ポセイドン・アドヴェンチャー』などと同じ構図だ。

 となると、疾風怒濤のロマン主義とは、どこかずれがあるようにも思う。ルカーチをもう一度、読み直してみようと思う。