駒場の帝都大戦

 変な思い出もいろいろある。まず、有名なM先生。数回、講義をやっただけで、いなくなった。国際情勢の予想をやるのだが、ぜんぜんあたらなかった。まあ、その意味で学者には向いていなかったのだろう。転職してよかった。

 名前すら忘れた体育の先生。これが駒場の中で最もひどい講義だった。いまはない大講堂で、自分のペットのヘビの身長を測るのがいかに難しいか、数回に渡って語るのだ。これほど無駄な時間も無いものだ、と思ったが、単位が必要なので、正直に出席していた。教科書もいらんものを買わせて、みんなかなり怒っていた。しかし、そんなことにもまったく気づかないくらいダメな先生だった。

 教育心理の先生もひどかった。出席だけ取って、エスケープする学生がいる、と言って、数百人を大講堂に閉じこめ、毎度、扉すべてに施錠するのだ。教育心理のくせに、こんなことやって、頭がおかしい、としか思えなかった。こんなやつ、いまなら当然クビだろう。

 生協はとても世話になった。だいいち、パソコンが使えるようになったのも、フォートランのバッチジョブの講義をさぼって、生協の人にプログラミングを習ったからだ。2階でテキストを買ってきて、1階のパソコンの展示品でプログラムを打ち込んで、テープで持ち帰っていた。いまでもあんなパンチカードの講義なんぞをさぼっていて良かったと思う。あのころ駒場生協には嶋田久作がいて、棚の向こうから頭を突き出して、通路を歩いていた。おお、かっこいい、と思った。私は、いまでもけっこうファンだ。でも、あの人、レジ打ちは、いつも遅かったな。

 昼も、もっぱら生協だった。丸賀はタマに。最近は、きれいになってフレンチまで食べられるらしいが、当時は、カフェテリア方式だの、ハンバーガーだの、というのが、おしゃれとされていた。あれでも生協では精一杯がんばっていたのだろうが、その後、どこぞの大学に本物のファーストフードが入ったのを聞くと、子供の模擬店のような感じだったな。

 そして、学生会館というのが、駒場奥の院だ。手前にたむろっている囲碁、将棋、RPGに始まって、やたらいつもいる、ふすまクラブ、プリントクラブの連中が、事実上の管理人だ。演劇系の連中は、寮の方に部屋を持ち、当時、流行に乗って、世間でももてはやされていたが、見に行ってみたものの、わけがわからず、つまらなかった。それをオフセット印刷機の騒音の横で、パイプイスに座って、みんなでけなしまくるというのは、おもしろかった。

 浮いていると言えば、アイドル研もひどかった。リアカーに後藤久美子を乗せて学内を走り回っていたのには驚いた。人さらいかと思った。あいつら、あんな調子で、電博にでも入ったのだろうか。一方、ピアノ研は、すごかった。なんでこんなに弾けるの、というようなのが、ゴロゴロいた。音大でも行く気になれば行けた連中だろう。哀れなのは、受験校上がりだ。学内で同窓会をやっている。駒場に入らなかった同級生は呼ばないらしい。しかし、受験校上がりは、性格が悪いので、他の連中が遊んでやらんで、学内で群れるしかなかったのだろう。そして、いつも土曜の午後になると、駒場の駅をやたら女子学生が降りてくる。スポ愛だ。まあ、そのドロドロの話はずいぶん聞いたが、やめておこう。