広松渉先生と見田宗介先生と山影進先生

 駒場時代の話の続き。広松先生や見田先生のゼミにもちょっとばかり顔を出していた。が、どちらもまったくなじめなかった。広松先生や見田先生御本人は、まさに教養人で、その守備範囲はかなり広い。話もおもしろい。ところが、ゼミのメンツは、どちらもかなり変だった。

 広松先生のゼミには、他大学の学生、というか、学生でもない、何をしているのかわからない連中がいつも来ていた。広松先生の熱狂的信奉者らしいが、いわゆる左翼の教条主義で、まったく理解不能だった。私個人の理解では、広松先生の哲学は、マルクスよりヘーゲルの原型に近いと思っていたのだが、彼らにヘーゲルの素養はまる無く、マルクス一辺倒のようだった。にもかかわらず、マルクーゼがどうのこうのと、難しいことを話していたが、それで、どこがどうつながるのか。

 一方の見田先生のゼミは、当時のわけのわからない浅薄な教養主義の学生たちばかりで、これまた理解不能だった。社会学のくせに、やはりやたらフランス語の哲学用語を振り回すのだが、だれかの曾孫引きであるために、ドイツ語の原典の原義と離れすぎていて話が通じない。せめてハーバーマスルーマンの論争かなにかなら、こっちも一応はフォローしていたのだが、それこそヘーゲルの論理学まがいのわけのわからない図式を濫用して、内部と外部は通底している、とか言われても、なんのことやら。

 社会学ではないが、国際関係論の山影進先生の多国間紛争モデルの方が、ずっと社会学的でおもしろかった。たんに抽象的な理論モデルを構築するだけでなく、それをつねにアジアの実際と引き比べて、モデルの修正を重ねていき、そのモデルで事態を理解する、という手法だ。べつに哲学の変な権威づけもなにもなく、現実とモデルとだけでやっていく。この方がずっと哲学的に思えた。

 自分の専門とは別の分野だから、広松ゼミや見田ゼミのメンツのその後の消息はあまり知らないが、いったいみんなどこに行ったのだろう。どこかの大学で、ああいう、わけのわかないことをいまでも教えているのだろうか。あれは社会学なのだろうか、哲学なのだろうか。だいたいなんであんなのが当時あんなにはやったのだろうか。まあ、なんにしても、左の連中は、まったくわけがわからんし、自分にも、社会にも、役に立たない、ということがよくわかったので、それだけは、勉強になった。しかし、ああいう変な連中抜きで、広松先生や見田先生から直接に時間論を習いたかったなぁ、と思う。たぶんそのあたりが、つまり、社会を媒介とする価値と時間の関わりが、あの二人の理論の核心だろうと思う。