表象文化論と義江彰夫先生

 表象文化論、と言っても、何だかわからない、という人もいるだろう。実際、映画学かなんかの連中が、ちょっとえらそうに言うときに、同じ言葉を使うこともある。しかし、それでは、それこそ私が表象文化論としてイメージするものと、ちょっと違う。

 私が駒場に入ったころ、最初に影響を受けたのは、蓮見先生などではなく、北大から移っていらっしゃったばかりの義江彰夫先生だった。中世日本史が専門で、住み込んでいるような、あの古い研究室棟においていろいろ教えてくださった。そのころ、先生は中世の刑罰や下層民のことを調べていらっしゃったのだが、先生がおっしゃるに、これらの問題は、従来のような文献記録からの手法ではアプローチしえない、なぜなら彼らは歴史から抹消された人々であり、また、自分たちのことを記録する言葉を持たなかったから、しかし、だからといって、それが無かった、いなかったことにはならない、と。そして、先生は、『洛中洛外屏風』と虫眼鏡を示された。それをのぞき込んで、驚いた。たしかに、その大勢の町の人々の中に、よく見ると、きちんとその存在が、絵で描き込まれているではないか。

 その後、それが戦後フランスのアナール学派の最新手法であることを知り、ブローデルやアリエスなどを読みまくった。日本は、書籍による輸入学問であるために、書籍の文字面ばかりを追いがちだが、文字で書かれた歴史や思想などというものは、人間の文化にとって、ほんの一角にすぎない。我々は、絵画その他の表象を以て繊細に思考し、雄弁に語りうるものであり、文字情報の政治的検閲をもすり抜けて、メッセージを伝播することができる。後はそれから読み出し、読み解く側の感性能力の問題である。だから、この表象文化論は、錬金術に似て、わからない人にはわからない。ここにおいては、見ればわかるだろう、としか言えない。この意味で、バウムガルテンより一歩進んで、感性は悟性に優越する、と私は思う。