セメスター制と基礎教養

 先週から冬セメスターが始まった。春ほどではないが、いろいろバタバタしている。

 セメスターというのも、よくわからない。うちではなぜか「春セメスター」「秋セメスター」などと言っている。ふつう「夏セメスター」と「冬セメスター」じゃないのだろうか。

 まあ、専門系でアラカルトにいろいろなテーマが扱えるようになったのは、それはそれでわからないことはない。しかし、教養系はガタガタになった。新書だか、カルチャーセンターだかのような、どうでもいい課目の羅列になった。

 大学というのは、前半で基礎的な部分をしっかりやっていないと、専門系で使いものにならない。語学ができなければ文学も哲学もあったものではない。経済学や統計学会計学ができなければ、社会学、政治学、経営学は話にならない。理系も、数学や力学、化学が重要になるだろう。

 問題は、専門研究が基礎教養より偉いと勘違いしている教員たちだ。基礎教養を教えたがらない、狭い先端専門研究以外の、基礎教養の概論体系化を研究として評価しない。そんなことしているから、基礎教養と先端専門と無理やり同列において、カリキュラムがグチャグチャになる。こんなの、学生のためにならない。が、連中は、まったく気にしない。

 それにしても、この業界、人格的に問題のある教員が、どこの大学にも多すぎる。連中は、同僚だろうと、同業者だろうと、まるでいつも採点しているかのようだ。これって、人格障害の一種なのだが、これだけ集まると異様だ。境界性人格障害というのは、見捨てられ不安と、自己他者関係の未確立が特徴だ。大学の連中を細かく見ると、2タイプがあって、一つは、中高年の初老性鬱の気分障害を併発している連中で、研究にも教育にも枯れて果ててしまって、研究者としての自己同一性が壊れ、内的空虚と外的激怒とで制御不能に陥っている連中。もう一つは、たまたま他人の基準に合致することで若くして半端に大学内にポストを得られてしまったがために、自他の区別が確立できなかった、もしくは再崩壊してしまってた連中で、自制がきかない傍若無人の幼児的躁状態。いずれも、自己評価が異様に高い一方、その自己評価はつねに危機状態で、そのために激情的に、他者に攻撃的、破壊的、高圧的に出る「発作」を繰り返す。

 有名私立出だの、地方国立でだののこういう半端な教員連中は、こっちが東大出で呑気に研究や教育を楽しんでるとなると、大変だ。彼らのアイデンティティが危機に陥るらしい。感情が不安定になって、アラ探しで目がつりあがる。連中特有の「発作」だ。まあ、こっちは、何十年来、この業界で、そういう連中に接してきて、毎度のことだから驚きもしないが。しかし、こんなので、大学内で、いろいろ事件が起こらないわけがない。少なくとも、カリキュラムその他で、学生にツケはまわさないでほしいものなのだが。