試験の採点と論文の執筆

 学生は夏休みだ。大学によっては麻疹流行の影響で7月いっぱい補講というところもあるようだが。

 しかし、教員はいそがしい。採点だ。半年、講義して、学生たちの答案を見ると、思うところは多い。ほとんど白紙のダメ答案もあれば、自分の講義よりしっかりした見解が書いてあったり。

 自分が試験をしておいて何だが、学生たちにも、試験の答案より、人生で結果を出せよ、と言っている。どういうわけか、私のところの講義には、こういう変な話をして、それを喜んで聞くような変な学生が多い。単位目当てで来た甘い学生は、試験以前にたいてい脱落する。

 それに、夏と言えば、論文だ。論文は、自分の考えを整理するのに役立つ。私は、毎年、紀要に論文を出す。ところが、うちの大学では、大学の紀要は論文としてカウントしない、のだそうだ。どこのだれがこんなバカなことを勝手に決めたのかしらないが、大学が紀要を出す以上、大学の教員は、学会などより、まず自分が所属する大学の紀要に論文を出すのが筋ではないのだろうか。それこそ、いったい誰から給与をもらっていると思っているのだろうか。

 まあ、カウントされようとされまいと、私は自分の大学の紀要に論文を出す。べつに人に評価されようとされまいと、知ったことではない。私は研究者だから研究をして、論文にまとめるだけのことで、それ以上でも以下でもない。学会で声高に権勢を張る教員がいる一方、沈黙し、研究に没頭する教員も世の中には少なくない。自分が調べ物をするときに、ほんとうに役に立つのは、奇をてらった学会誌の論文などではなく、どこかの大学の紀要に出ていた実に地道な研究であることが多い。私は、あちこちの大学や図書館から、そういう紀要論文をコピーして集め、熟読している。そういう地道な研究を続けている手間や熱意に、ほんとうに頭の下がるものばかりだ。この意味で、論文も、学生の試験と同じことだろう。