理系と文系の学位の話

 理系の連中がやたら海外に行きたがるのにはわけがある。海外では、理系の博士は貴重なのだ。だから、国際会議でも行けば、日本の事情を知らない海外の研究者たちにちやほやされて、日本に帰ってきても大きな勘違いをする。

 日本では、工学系大学院の中堅以上の研究室に所属できれば、半ば自動的に博士号が取れる。むしろ、取れないやつの方が珍しい。取れないと、なにか問題でも起こしたのか、と疑われるほどだ。

 ところが、海外では、そもそも工学は、大学で学ぶような学問ではない。話に聞くところだと、工学部は、日本の東京大学で世界で最初に設置されたものだ。もちろんアメリカにMITなどもあるのだが、ヨーロッパでは、エコールドポリテクニークにしても、基本的に職人の技術の研究であって、伝統的に、数学や物理学、天文学以外は、大学の外のものとされてきた。そのため、工学で学位を取るには、たんなる技術だのデータだのではなく、よほどきちんとした理論性のある学問構築的な研究であることが求められる。だから、海外では、理系の博士は簡単には取れない。

 この逆のことが、文系の学位では起こる。日本での文系の博士号の取得は、かなり難しい。昔よりましになったとはいえ、通常、たんなる論文ではなく、書籍の出版公表が義務づけられており、まともにオリジナリティのある書籍1冊をまとめるのは、ペラペラの理系の論文の比ではない。そのうえ、専門書の出版事情がこのザマでは、きちんとこの伝統的規定を守れる文系の大学院は、じつは多くない。助成金自費出版のようなチンケなものを作ってごまかしている場合が大半だろう。

 しかし、海外では、文系は、けっこう博士論文を書き散らす。だいいち、学生も、院生も、もともとふだんの講義のレポートの量が半端ではない。だから、書けないやつは、学生として卒業できない。そして、大学院できちんと本を書けば博士号自体は出る。何年も海外の大学院に行って博士号を取れないとすれば、それは、学部学生の講義にすらついていけなかったことを白状しているようなものだ。

 ただし、海外の文系は、そこからが長い。騎士の遍歴の伝統に基づいて、各地の大学の教授たちの講座の下でPDや講師として実績を積み上げ、教授資格をとり、講座を与えられなければならない。まあ、所属不明の非常勤でほったらかしの日本より、学界としての教授たちの面倒見がよいとも言えるが。しかし、公正な審査のために、同じ大学での昇格は、基本的にない。また、とくにドイツなどは、公務員扱いになるので、学外のメンバーによる客観的な資格審査が行われる。学内の専門外の教授たちのなれ合い審査で年功序列で昇格させたり、学科内の派閥争いで他派閥の若手の昇格を妨害したりしている日本の大学とは大きく違う。

 先日も、日本の理系の若手博士など、企業は取りたくない、取っても使いものにならない、という話をテレビをやっていた。一方、文系は、苦労して指導教授の言うとおりにまじめに勉強しても、現状は、研究者としての道は宝くじ並みしかない。とにかく日本の国内で既得権を持った同分野の学者たちが仲間内だけで好き勝手にやって、おたがいにうぬぼれてあってばかりいても、大学の教員や学位の重みは無くなるばかりだ。

 理系でも、文系でも、教授のくせに、理論的に評価されている専門主著のひとつも無い、などというのは、海外では話にならない。どうやって学位を取ったのか、どうして教授になれたのか、と、不思議がられるだけだろう。社会的、国際的に、きちんと客観性と有効性のある人選方法をしないと、大学そのものの存在意義が無くなってしまう。