シラバスを書いた

 私の講義が教職課目だそうで、来年度の申請のために、シラバスを直して出すように、というお達しがあった。というわけで、シラバスを見た。うちの大学は、ありがたいことに、以前、本人の知らないところで、どなたかが勝手にまとめてシラバスを揃えてしまったので、こういう機会でもないと、自分の講義のシラバスを見ることがない、という不思議なことが起こっている。まあ、事務書類などというのはそんなものだろうか。

 シラバスとは別に、自分の講義の最初に、自分自身で作った講義の概要と計画を学生諸君に配って、それに沿って講義を進めているから、実際上はこれまでも問題ない。それに、大学の講義というのは、ビデオの完パケのようなものではなく、生放送であることこそがウリだから、毎回の主旨そのものは同じでも、その前後の社会的な出来事に応じて、話の転がし方は変わる。この取り込み方が難しいところだ。

 かくして、自分の倫理学の講義のシラバスを見て、けっこう笑えた。たぶんどこかの大学の、だれぞの先生のシラバスをコピーしたのだろう。これでは、ネットからぱくってくる学生のレポートを怒れたものではない。そのうえ、その講義は、内容的にも稚拙だ。おそらく哲学や倫理学が専門ではない、社会学出身の先生のものだろう。もしかすると、筑波のような旧師範学校系の大学の哲学の人かもしれないが。いずれにせよ、倫理学という概念自体を勘違いしていて、道徳教育かなにかのようになってしまっている。こんなしょうもない先生にならっている学生たちもいるんだなぁ、と感慨が深い。

 今回、自分で書いていいようなので、ゼロから書き直した。ちなみに本物の倫理学は、哲学が存在に関わるのに対し、当為を扱う。すべきである、しなければならない、してもよい、してはならない、するはずだ、というような当為がどこにあり、どのように現実の存在と関わっているのか、その根拠は何か、を問う。それゆえ、哲学と同様に、ときにはそれ以上に、奥が深い。時代の独善を押しつけるだけの道徳教育なんぞといっしょに考えてもらっては困る。