【真実在 ontos on】【イデア idea】

 我々が見たり、聞いたりして、「ある」と思っている感覚的事物は、つねに生成消滅し、変化するものにすぎない。それゆえ、そのような感覚的事物は、また、ある意味で「ない」でもある。だから、「本当にある」のは、不生不滅、不変同一の〈イデア〉だけであり、これは、感覚によってではなく、しかしまた、推理の〈媒介識〉によってでもなく、ただ〈上昇知〉によってのみ知ることができる。

 そしてまた、感覚的事物はこの普遍一般的な〈イデア〉を範型とし、その特質を分有していることによって、それであることができるのである。たとえば、ベッドは多数存在するけれども、ベッドというもののイデアは唯一無二であり、現世界のそのような多数のベットは、鏡に映った虚像のように、このイデアの模造にすぎないのである。

 しかし、このような《イデア論》は、アリストテレスが『形而上学』Α9で「イデア論批判」を展開してたように、多くの問題点を残している。たとえば、ソクラテスにはソクラテスイデアがあるというように、この現世界の個々の事物すべてに同じ数だけイデアが必要になってしまうし、また、現世界の人間が人間のイデアに似ているためには、その人間たちと人間のイデアとを同じとする人間性のイデア、〈第三人間〉のイデアが必要となり、これは無限後退に陥る。それに、そもそも、イデアの存在の主張自体が独断的であり、〈離存分有〉という現世界との係わり方も不明確で、理論的にもその役割がなく、不要のものであるとされる。