古代2 ソクラテス以後(BC5C~BC4C)魂の世話としての知への愛2

哲 学 概 観

 もはや、哲学も純粋に学問的な流れの中に甘んじていられるわけではない。政治と社会情勢の荒波に翻弄され、世の中の風潮と要請に合わせて、そしてまた、それを批判して揺れ動いていく。すでにソフィストたちの出現は、ギリシア諸都市の民主化の流れに一致した、まさにそのような動きのひとつであった。しかし、彼らは合理性を徹底して追及したために、結果として〈規範〉の相対人為性を見出してしまい、しだいに懐疑的、虚無的、冷笑的気風を広めた。当然、このような気風に対して反動的な批判が起こる。これを徹底して推進めたのがソクラテスであった。

 彼もソフィストの一人であり、若い頃にはパルメニデスらからも多くを学んだと言われる。だが、彼は他の多くのソフィストたちが立身出世のための実用的な〈知恵〉を教えたのとは違って、自分自身の魂のための〈徳〉をみずからつちかうことを教えた。つまり、知を手段として立身出世を求めるのではなく、ただひたすら知を追及する〈知への愛〉すなわち《哲学》を主張したのである。

 おそらく、ソクラテスプラトンのこのような態度は、オルフェウス教的な〈魂の浄化〉ということに基づいていたのだと思われる。つまり、彼らの《哲学》は、およそ合理的な学というよりは、いまだかなり宗教的なものであり、むしろ教義と言うべきものであった。また、彼らは、空しい現世利益のためだけの知恵をいやしい一般大衆ごときに教える他のソフィストたちを軽蔑し、さらに、彼らの復古宗教的思想は民主化に対する貴族的反動勢力と容易に結びつき、また実際、彼ら自身の方からもしばしば政治に関与し、あちこちでもめごとを起こした。

 アリストテレスは、プラトンの弟子であり、知を手段としてひたすら知を探求するという《哲学》的態度を引継いだが、ソクラテスプラトンのように神がかってはおらず、それゆえ、より純粋に哲学的であった。ここにおいてはじめて、学としての《哲学》が成立したとも言える。彼は世界帝国を築いたアレキサンドロスを少年時代から指導し、むしろ逆に彼に感化されたのか、それまでのさまざまな学説を網羅的に集大成し、ひとつひとつに冷静な検討を加え、その批判を交えつつ、その問題点を総合的に解決するという知の大帝国を築いたのだ。そして、彼の体系は中世に引継がれ、千年以上にわたって諸学のパラダイム(範型)となったのである。

 知のための知という《哲学》の根本態度は、タレスの中に認められ、彼が最初の哲学者とされるが、このことが自覚的に主張されたのはソクラテスが最初である。そして、その宗教的な独断性がアリストテレスによって払拭され、学として整備されることになる。「哲学」という言葉が一種の主観的感想というような意味で用いられてることがしばしば見かけられるが、《哲学》とは、けっしてそのような独断であってはならず、あくまで、学として、まず、多くのさまざまな見解を学んで理解し、しかしまた、そこにとどまって、ただ博学をひけらかすのでもなく、それらを足がかりに、さらなる一歩を自らの力で踏出すべきものなのである。学ぶことなく独断を主すること、博学をひけらかしておのれの考えるところなきは、《哲学》とは似て非なる行いなのだ。学んだ知から考える知へ、というこの知のダイナミズムこそ《哲学》なのである。