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ヘミングウェイとゲルホーン

HBOのドラマだ。154分、2時間半以上の大作だ。日本ではゲルホーンがまったく無名であるために、邦題は『私が愛したヘミングウェイ』に変えられてしまった。だが、これはゲルホーンの回想録であり、まちがいなくゲルホーンの方が主役だ

ヘミングウェイについては、その同性愛的傾向が近年よく論じられる。この映画も、当然、それを踏まえて描いている。そのことを知らないと、やたらと女好き、というより、やり好きのバカにしか見えないくらい、そちらのシーンが延々と出てくる。とはいえ、最近の女子学生ともなると、私はちょうどそのあたりに関心のあるお年頃なので、とても興味深く楽しめました、なんて、余裕綽々たるコメントを書いて来たり。

ちょうど半分のところ、映画完成講演のところで、ヘミングウェイの登壇よりゲルホーンの方が圧倒的な喝采を受ける。このあたりから製作者の本音がだんだん明確になってくる。優しかった妻に罵倒され、ゲルホーンを前妻の言葉の受け売りで引き止め、カリブ海でドイツの潜水艦を沈めると豪語する行動派の茶番、そして、事故、病院、自殺。一方のゲルホーンは、ノルマンジー上陸作戦、ダッハウ収容所の命がけのスクープで、一流ジャーナリストに。

もちろん、彼の独特の文体は、まがうことなき天才だ。だが、フランコムッソリーニと大差ないマッチョイズムは、三島由紀夫と同じように、同性愛的傾向と表裏一体。ガラス細工のように脆い繊細さの裏返し。一方のゲルホーンのマニッシュな割り切りは、ジェンダーをも超越している。ただ、ゲルホーンを初めとして、この作品の製作者たちにユダヤ系が多いのが気になるが。

『ナポレオン・ダイナマイト』のこと

 今日はドラマ論で『ナポレオン・ダイナマイト』の考察。知る人ぞ知る超低予算(本体2000万円)カルトムービーだ。学生の反応は、この温さがたまらない、というのが、9割。嫌いだ、すぐに飽きた、というのが1割。好きとか嫌いとか、ただ勝手なことを言うのなら、映画館かレンタルビデオの話。ここでは、なぜ、好きだ、という人がいて、嫌いだ、という人がいるのか、を考えるのが仕事。

 いうまでもなく、主人公は、変なやつ。というより、ダメな高校生。米国のスクールカーストからすれば、典型的なギーグだ。兄貴も32にもなって家でネットでチャットのヒッキー。二人とも、友達なんかいない。ところが、面倒をみていたばあちゃんが入院。フットボールの負け犬、彼女に逃げられてキャンピングカー暮らしのリコおじさんが代わりにやってくる。こいつが、むちゃくちゃインチキ臭い。主人公にも、メキシコ移民のペドロ、さえない女の子デビーと、それなりに友達ができる。

 嫌いな学生で正直なやつがいた。自分に似すぎているから、痛い。あれがギャグだ、コメディだ、と思えるのは、リア充だった学生だろう。作り物でかっこいい高校生活なんて、ウソ。でも、思い出せば、そんなに悪くもなかった。そんなノスタルジーが米国でウケたらしいが、大学生が見るには、まだ早すぎなのかもしれない。

武士道とキリスト教

 数年来、武士道文献を地道に読んでいる。といっても、新渡戸や『葉隠』ではない。井上哲次郎の『武士道叢書』だ。こんなもん、いまどきだれも読まんだろうな、というような、ものすごく古臭い、積極臭いしろもの。だいいち漢文だったり、古文だったり。さいわい、小さいころから、この手の文章の読みは仕込まれているので、私自身は、それほど苦ではない。が、ほとんど外国語のようなもので、畢竟とか、就中とか、現代語に訳す方が難しい。そのまんま、そういうもんだ、として、読む。

 井上哲次郎という人自体がちょっと興味深い、屈折した人で、長崎で英語をやって、東大で西洋哲学をやっていながら、結局、クリスチャンになることなく、むしろ仏教に回帰した。そのどこか興味深いか、というと、クリスチャンにならなかった、というところ。この時代、英語をやった学者連中が、ぞろぞろクリスチャンになっている。ならなかった方が珍しいくらいなのだ。

 そんなこんなで調べていたら、加藤和哉先生が新渡戸稲造の『武士道』の背景について研究しており、ひさしぶりにメールして、教えを乞うた。東大の哲学科の学友で、いっしょに八ヶ岳なんぞに行った仲だ。(そのせいでもなかろうが、いま八ヶ岳に住んでいる。うらやましい。)とはいえ、私などより、ずっと地道に研究に打ち込んでいる。しかし、別々の道を歩んで、数十年ぶりに研究を突き合わせてみると、なんと、みごとなまでに、表裏一体のことをやっていた。これは、とても、うれしかった。江戸思想は、以前より研究されているが、明治初期のあたりは、ちょうど穴であるだけでなく、あのあたりの近代の出発点の日本思想を見直さないと、現代の我々、というより自分自身の足元が見えないようなのだ。

 たぶん世間では、こんな話、ほとんど関心があるまい。読めもしまい。だが、大学人としての学問に対する誠実さ、アカデミックな組織的研究として、これから自分たちの世代で、このあたりの理解をきちんと確立していきたい、と思った次第。

オリンピックそのものが無理

 死にそうなおじいちゃんたちがボケで誘致しちゃったけど、競技場がどうこう、ロゴがどうこう以前に、無理じゃない? 少子化に財政難、おまけに災害続き。福一は解決してないし、阿蘇や箱根、南海や関東を喰らうかもしれない、という状況でお祭り騒ぎって、東京の連中って、猫じゃ猫じゃ、のまんま。(猫じゃ猫じゃは、旦那に間男を猫と言ってごまかそうとする妾へのツッコミ小唄。) いや、辞退しようにも、だれが決定権者なのかも、よくわからない。IOCが、行かない、と言えばいいが、誘致してしまったものの、やっぱ、ごめん、無理だわ、って、言える人が日本にいない。

 モーリーの『ユアタイム』もひどいことになってるねぇ。ちらっと見たが、ちらっと以上に見てられない。まして地震で、ひっこめ、バカ小娘! という状況。滝川クリステルみたいに、使ってりゃモノになる、とでも思ったのだろうが、無理だろう。番組として、まったく華が無い。これまた番組として生殺し。一方、『報道ステーション』の富川悠太は、きちんとしたアナウンサーで、レポーターの経験、日曜版の試用を経て、地震では一早く現地に乗り込み、余裕の実績。いっそ『ユアタイム』も、熊本出身のショーンKを説得して、現地に送り込んで汗まみれの汚れレポーターとして復帰させれば、番組も、当人も、おおいに挽回のチャンスなのに、と思うが、制作サイドにそんな才覚と決断があれば、そもそも、あんな使えない小娘なんかキャスティングしないよなぁ、とも思う。

 この状況で、新エンブレム、決定しました、って、『ユアタイム』と同じ。震災報道が一段落する連休明けまで延期したほうがいいって。状況に応じて柔軟に運営していく能力が無い、それができるトップがいないから、こんなにギクシャクしているのに。まるで首を切られたニワトリが断崖に向かってまっしぐらに突っ込んでいくようで、この国の行く末が恐ろしい。

凸版文久明朝

 明朝体がいちばん難しい。その中でも、おそらくもっともしっくりくる、私に限らず、世間でも、これこれ、というのが、凸版印刷の伝統ある文久明朝というフォントだろう。文春文庫など、凝りすぎていない、むしろ一般的な書籍デザインで、多く見かけるやつだ。特徴は、明朝ながら、筆の伸びを排して、ペン字体や教科書体に近い、きわめて標準的な戦後字体になっていること。一発で見分けるのは、「そ」。そ、の上が、伸びの横棒ではなく、二点二格になっている。

 ようやくモリサワがリリースし、ほかの文久ファミリも順を追ってということだが、逆に言うと、これまでそのほかの明朝がいかに奇妙な明治字体に執着してきたことか。ほとんどの明朝は「や」で切り点になっていない。そもそも、文久を含め、いまだに古い鉛活字のフォントが基準というのは、どうなのだろう? 明治字体は、基本的にすべて縦書きのウェイトで揃えられており、パソコンの横書には合わない。戦後自体の文久は、このあたりに自由さがあるものの、やはり縦書きが基本だ。かといって、平成字体は、知ってのとおり、うーん、というように、品格に欠ける。最近では、横書きを意識して、TP明朝なんていうものもあるが、センスがいかにもアニメっぽい。

 もともと明朝は、縦線を太く、横線を細くしているせいで、これを横に並べると、縦線が流れを遮り、バーコードのように細切れにしてしまう。このような原理的な問題はあるのだが、戦後に文久明朝が作られたときの、そのフォントではなく、その工夫と努力をもういちどするだけの、日本文字の力は残っていないのだろうか。

 

パナマ文章と『悪魔は涙を流さない』

 ジョージ・ソロスという人物をモデルにしてヨタ小説を仕立てたのが、拙著『悪魔は涙を流さない』。南ドイツ新聞へのパナマ文章の流出元として、ようやく彼の名前が出てきたが、タックスヘイブンの問題は、ソロスの自由主義思想と相いれないところがあり、パナマ文章は、かつての資本主義対社会主義とは別の、新時代の国際経済戦争が勃発したことを意味している。

 パナマ文章の爆弾の根幹は、政治家や富裕層タックスヘイブンへの租税回避ではない。タックスヘイブンは、マネーロンダリングの装置にすぎない。総計で法外な金額になるファンドが、いかにして運用可能か、自分で考えてみたらいい。通常なら、金額が巨大になりすぎると、利益率は平準化せざるをえない。極端なことを言えば、世界に一人しかいなければ、どうやって運用しても、プラマイゼロだ。しかし、実際には、タックスヘイブン経由で、相応の投資利益が出ている。

 パナマ文章が、この先の部分までのリークを含んでいるのかどうか。タックスヘイブンそのものは、別に世界中に点在している。にもかかわらず、カリブ海パナマに取引が集中している理由はなにか。証拠まで抑えられるわけではないが、想像に難くない。彼らの資金運用の反社会性こそ、一番の問題なのだが、そこまでだれも手を出せない。

『おそ松さん』の色彩設計

 あれ、垣田由紀子だ。水色と藤色の濫用、これにピンクと黄色を合わせるなどというむちゃな色彩設計は、2010年に彼女が手掛けた『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』にもすでに見られる。あれは、もともとアメリカンカトゥーンを意識して真似たもので、その影響もあるが、米国のカトゥーンだと、アフリカ系の女の子の肌の色に合わせやすい好みで、濃色の紫やピンクの濫用が特徴的。それが日本に来て、パステルカラーのごちゃごちゃになった。

 とはいえ、この手のパステルカラーのごちゃごちゃは、すでにバブル期の原宿や清里あたりにも出現していた。78年から連載され、81年にはアニメにもなった『おはようスパンク』あたりもそうだし、これに続く『ミンキーモモ』なんか、藤色、ピンク、黄色、水色のオンパレード。これは、それまでのCMYKインクの合成では出ない特色で、この特盛りは、少女コミックで濫用され、圧倒的な支持を得る。ペンキやセルでも、この手のパステルカラーは発色が安定せず(色素に白を混ぜただけではムラになる)、また褪色がひどいため、このころまでなかなか実用に至っていなかったが、蛍光色とともにバブル期に開発が進み、サンリオのような女の子向けガラクタ小物の「ファンシーショップ」の蔓延とともに、一気に女性たちの心をつかんだ。

 この色合いは、圧倒的な日本の女性色。男では、鳥山明が80年から連載した『Dr.スランプ』で使おうとしたが、雑誌ではアメリカンカトゥーンのような濃色になってしまった。2005年に出てきたゲーム『アイドルマスター』あたりでも、アイドルの女の子らしさを強調しようとパステルカラーを使おうとしているが、やはりあまりうまくいっていない。

 青は男の子、赤は女の子、というのはジェンダーの決めつけだ、などと、70年代のウーマンリヴの連中が騒いだが、彼女たちがシンボルにしたのは、パステルピンクのヘルメット。どうも文化的なジェンダーではなく、生理的で先天的な性別能力と色の関係があるとしか思えない。あのとんでもない不思議な色合いは、おっさんではなぜかどうしても使いこなせないのだ。

 一般の社会では、あのパステルカラーのぶっとんだ色合いは、あまりそうそう見かけることはない。だが、わけのわからないファンシーショップや、ガールズシューズ、女の子向けのおもちゃやアニメなどでは、あの不思議な色合いが溢れ返っている。歴史的に見れば、着物の色合いでも、あの色遣いに近いものは昔から少なくない。いくら男女平等と言っても、結局、表は男の世界で、おっさんデザイナーたちが独善的な自分たちの好みの色合いで世界を塗りつぶしてきてしまっているのか、逆に思い知らされる。

愚者の王の誕生パーティ

 なんかヒエロニムス・ボスあたりが寓意画にしそうな光景で、なんとも。そのうち参加者200人の名簿も文春に流出するだろうから、それはそれで見もの。生きている、見世物になってカネを稼いだ、という以上に、なんにもやり遂げたことがないまま、というより、余計な雑念だらけで40歳、って、人として厳しいよなぁ。それ以上に、そこに群がっている連中のうさんくさいこと。障害があるから、って、独身ならともかく、奥さん、いるでしょ? 屁理屈で擁護すればするほど、どんどん怪しくなる。

 しかし、近年の日本、すごいなぁ。小保方だ、佐村河内だ、に始まり、野々村だの、ベッキーだの、ショーンKだの、GACKTだの、そして、挙句がこいつ。その取り巻きまで含めて、なーんにも実績が無い。空っぽなのに有名人。それを見に人が集まって、本が売れて、カネが稼げる。カリオストロやデオン騎爵みたいな贋者たちが社交界を跋扈したフランス革命の直前とそっくりだ。

 あの時代、本者はどこにいたか、というと、自然史博物館。今のフランス学士院。そこで、メイソンリーの最後の詰め、名誉革命のような無血民主化の計画を立てていた。しかし、ここにもオルレアン伯爵みたいな如何者のが入り込んで引っ掻き回し、恐怖政治に突き進み、みんな巻き添えになってしまう。さて、いまの我々は、どこに隠れればいいのやら。

乙武が女に手を出し、足がつく!

 最近、青い東スポ、飛ばさないなぁ。なにか勘違いしてないか。プロ集団のセンスプのように、ネタが取れないのはやむえないにしても、そこをなんとかしてこそ、ヨタ記者というもの。記事が硬いのは悪くはないが、定期購読じゃないんだから、とりあえず見出しで売ってナンボの夕刊紙。知恵さえ絞れば、ニュースはできる!

 ショーンK、じつはニューハーフ! とか、ショーンK、日本海に発射か? とか、ショーンK、宇宙人の父と涙の再会! とか、ショーンK、4月1日に本人記者会見! とか、新刊!マクアードルの霊言、とか、文枝、裸の人間国宝へ! とか、清原、焼肉弁当で血糖値ホームラン! とか。ま、どうでもいいんだけれど、表面で売ってるやつらって、裏との落差が大きすぎる。そのあたりがまた、下衆雑誌、下衆新聞の勝負どころ。お仲間内のおべんちゃらごっこだらけのテレビや新聞ができない、ほんとうのジャーナリズムの仕事だ。

 本来、ジャーナリズムって、敵対、揶揄、風刺で、社会全体のバランスをとっているのに、いつの間にか、第四権力になって、ウソの片棒担ぎ。朝日でおなじみの姜なんとかの子供時代の苦労話とか、同じ熊本出のショーンとそっくりじゃん。あの山の連中、地元では、ウソつきで有名だったけどねぇ。それが差別のウソなのか、それともウソが本当なのか、部外者にはわからないけれど。だけど、障害とか、貧困とか、能力とか、信用とか、国籍とか、本人の人格の上下とは、もともと関係ないんだよなぁ、と思う今日この頃。

モーリー・ロバートソンか……

 偽物ショーンに代わって、もぐらのモーリーか。大学の同級生、といっても、数か月で、あいつ、いなくなっちゃったが。あれは、本物だ。だけど、テレビは、本物の意味がわかってないと思う。けっして悪いやつではないが、たいへんだと思う。ほんの数か月の付き合いでも、かなり強烈なインパクトがあったから。

 なにしろ頭が金魚鉢だ。若いうちから人生に苦労しすぎて、性格的にいっちゃってた。なにより本人自身がいちばんしんどかったのだろうと思う。世間では、東大だ、ハーバードだ、と言うと、ちやほやされるように思っているが、ショーンは声と顔が良かったから、どうにかなっただけで、普通には、わけのわからない、さして知り合いでもないやつらにまで、知ったかぶりで嫉妬されて面倒なだけ。うちらは、東大ったって、東大の中の東大、1組インタークラス。彼は、英語がネイティヴで、本物のスコットランド系で米国籍。おまけにハンデ無しの受験で受かるくらい日本語も、フランス語もできるとなれば、さらに大変だっただろう。

 私も彼とは直接にはあれっきりだが、どうやってもパンピー、そして東大パンピーとさえ違う、みんなもうふつうにはなれない同じ1組インタークラスのメンツとして、その後もずっと気にかけていたし、その後もいろいろ苦労していたのを知っていた。それでも残るのは、彼にはそれだけのものがあるからだろう。(ただ、音楽の才能だけは、あいかわらず皆無だと思うよ。なんで昔から本人がやりたがっていたのかも、よくわからないが。1組は当時から音楽でももっと天才的なやつらが多くいた。)

 始まる前から心配するのも申し訳ないが、さて、いつまで続くやら。べつに無理しなくてもいいと思う。あれが出てきて、本音で語ったら、局も視聴者もドン引きだと思う。古賀みたいに小物で過激でトラブルを起こすというんじゃなくて、普通の人にはぶっとびすぎて理解できないだろうから。それとも、いいかげん大人の了見と分別を弁えたか。まあ、とにかく見もの。たがいにもういい年だが、遠くから大いに期待し応援しているぞ。がんばれ、ぼくらのもぐらのモーリー!

paypalのフィッシング

 海外との個人売買で、十年も前、paypalを使っていた。国際決済としては、メールアドレスひとつで、とても簡単。しかし、昨今、amazonで国際的なマーケットプレイスの決済ができるようになり、年来、ほったらかし。カードも有効期限が切れたままだった。

 それが、国内のちょっとしたものの買い物で、paypal指定になっていたので、ちょっと復活させた。ところが、数時間とおかず、「paypal」からメール。それも、ドイツ語で、海外向けのpaypalくらいしか登録していないミドルネームまで入っているし、出どころも、service@paypal.comになっている。内容は、エンジン用のコンプレッサーを買ったことになっているが、間違いないか。間違いであれば、16営業日以内に、キャンセルせよ、さもないと、この取引を有効なものとして決済する、だと。

 リンクを踏むと、paypalドイツ版のよく知っているデザインのページ。まったく同じようにメールアドレスとパスワードでログイン。ところが、そこで、住所確認だのなんだの、そりゃ何年来もアクセスしていないから、とも思ったが、おや、昨日、日本版で、カードの更新したよな、というところでようやく気付いた。国際決済のpaypalが、日本語サイトとドイツ語サイトで基本データを共有していないわけがない。あわてて、日本版のpaypalに入り直し、カードも削除、パスワードも変更。残高もゼロ。なんかあっても、ここで止まる。paypalにも連絡。中国の人だけど、日本語はじょうずで驚いた。paypalは一国主義で、現在の設定だとドイツ語でメールを送ることはない、とのこと。

 なんだか疲れた。久しぶりにpaypalを使ったという情報が日本からドイツの悪党に漏れているのは事実だ。それどころか、私が以前、ドイツでpaypalを使ったときのメールアドレスがずっとどこかに流出保管されていて、それが数年ぶりに反応したので、自動的にフィッシングメールが発送されたのだろう。かつてpaypalなんか、知る人ぞ知る、隠れた細い方法だったが、十年で状況は大きく変わり、こうまで手間をかけても、詐欺の採算が合うものになってしまったのだろう。申し訳ないが、もう使いたくない。

パソコンはネットラジオ専用

 パソコンが出たころは、ワープロ表計算がすべてだった。それが、BBSにつながるようになって、なんとかフォーラムみたいなのがにぎわった。そこから、ホームページができて、リンクからリンクへ飛んでいく「ネットサーフィン」(うーん、なんという恥ずかしい表現なんだろう)。そのうち、あちこちがメールで問い合わせできるようになって、パソコンはもっぱらメーラーに。気が付けば、あちこちからニュースが発信されるようになり、新聞みたいになった。ところが、結局、どうでもいいクズ記事や意見放言だらけで、もっとどうでもいいyoutubeの笑える動物ビデオとかを散見。

 で、いま、youtubeを見るのもめんどうくさい。結果、パソコンは、いまやラジオの機械。世界中で、好きなジャンルがチャンネルになっていて、24時間365日、垂れ流されている。キーボードに触りもしない。それどころか、ちょっと部屋から出てても、そのまんま。エアコンよりほったらかし。あとは、コーヒーを飲んだり。これじゃ、CDは売れないし、最新型高性能のパソコンも売れるまい。まして、電子書籍なんか、論外。でも、そのうちラジオすらも飽きて、うるさいよ、黙れ、しりっ! とか、になりそう。実際、朝とか、窓を開けると、澄んだ空気がさわやかで、鳥の声も聞こえて、なんだ、これが一番、いいじゃん、と思う。

black lives matter

 公民権運動から半世紀。あいかわらず。ただ、現実問題として、こうなる理由もわからないではない。自分が警官だったら、やはり先に撃つだろう。銃やナイフで武装している可能性は、けっして低くはあるまい。とはいえ、確保した後にやっていることを見ると、そりゃやりすぎだ、とは思う。とはいえ、これも、自分自身の生死がかかった極限状態に突然に直面させられた直後、戦場のように覚悟のうえで出向いた場所でもないところで、人間がそうそう冷静でいられない、というのも、わからないでもない。

 知っての通り、最初に来たイングランド系が政治で上に載って、後になるほど下。ユダヤ系が金融と映画。スコットランド系が警官、イタリア系が警官かマフィア、ドイツ系は辺境の農民か、都会のホットドッグ屋、中国系はレストラン、韓国系はスーパーマーケット、そして、解放されても放置されたアフリカ系は、せいぜいプロスポーツかエンターテイメント、小作人。あまりにステレオタイプだが、ステレオタイプがいまだに崩れないのもまた事実。

 人種のるつぼになんかならず、モザイクのまま。さて、日本人は? ユダヤ系のカモとなるビジネスマン? しかし、それはカネを落とす一時の客人としての名誉白人。米国に住んでいる日本人、日系人もいるが、かなり大変だろうと思う。まあ、銃やナイフを持っているとは思われていないだけ、ましなのか。

χωριστον

 昔の人は、五十で隠居したというが、よくわかる。コーリストン、離存感というか、社会というゲームで、いまさら金持ちになりたいとか、出世したいとか、モテモテになりたいとか、面倒くさい。そういうことは、若い連中でがんばればよろしい、と思う。旅行すら、腰が重い。若いころは、ひたすらあちこち歩き回り、ヒッチハイクでも、野宿でも、飛び込みバイトでも、なんでもやってみたい、と思ったが、いまさら、しんどい。ぷらーっと歩くのは悪くないのだろうが、人の町で暮らしたいとも思わないし、まあ、いろいろあるにしても、現状で満足。

 プロ野球の選手は、引退して気が抜ける、と言うが、それもよくわからない。そりゃ受験勉強でもなんでも、一生懸命にやったが、またやりたいなんて思うわけがないし、将来も不安な非常勤の身の上で、勉強不足の団塊教授連にトンチンカンな御助言御指導をいただくなんて、まっぴら。むしろようやく自分本来の仕事ができる。ただ、雑事が多く、気力も続かない。隠居できれば、もうすこしどうにか楽になるんじゃないか、とも思う。

 それにしても、戦中戦後世代は、やっぱりおかしい。あいつら、天然のシャブ中みたい。髪の毛を真っ黒に染め、現役に固執して、若い連中に嫉妬し続ける。別にあんたらと競ったりしないから、むしろこっちが先に隠居するから勘弁してよ、と思う。そんなに名誉欲とか社会欲にかられたって、70年も、80年も生きて、これまで主著の一冊があるわけでなし、業績なんか、空っぽじゃん。あと十年、現場に残っても、結局、なにもできないと思うよ。だったら、いまの20代、30代、40代にチャンスを譲ってやれよ、と思うのだが、人の話を聞く連中じゃない。せめて自分は、自分の身辺で譲れるものがあったら、とっとと若い連中に譲ってやって、自分は自分自身の本来の仕事を残りが限られた人生の中でやり遂げたいと思うばかり。

ジャニーズと山口組

 みんな、いつまで黙っていられるのかな。美空ひばりのころから二代目、三代目とずぶずぶだからね。もともと渡辺プロダクションが地元搾取の興行浄化をめざしてできたものの、当初からそのためにかえってみずからすすんで進駐軍と菱の傘下に。そのさらに下にできたのが、ジ。それとは別に進駐軍の将校さんたちに気に入られていた成城玉川の連中で、ホリプロができる。しかし、こっちも稲川会系のSが潜り込んで、バを興し、あれよあれよという間に利権の巣窟。この菱と稲穂の争いの中で、1975年、ジの郷ひろみをバが引き抜く、という事件が起きる。以来、ジは、菱の先兵として先鋭化。

 おもしろいのが、東西両代紋とそのそれぞれの傘下のナベジvsホリバの主戦場が民族系のフジテレビ・カンテレだったこと。他の3局は、赤っぽいせいか、上の抑えが効いていたからか。菱はホリ別働の田辺に加え、関西から吉本も送り込み、90年代バブル期には、ほぼ全面制圧。しかし、ここから崩壊が始まる。

 山口組は大きくなりすぎた。そんなでかい組織を支えるほど、日本に利権は無い。それであちこちがぽろぽろと剥がれ落ちてきている。今回の一件も、70代80代の超大御所さんたちの名前があちこちで漏れ聞こえてくるが、自分たちで週刊誌まで出ていかなければならないほど、中堅や子分がいなくなってしまっている証左。まあ、これも、いろいろいい機会だと思う。